[初代 会長挨拶]

北海道大学 総長 工学博士 丹保憲仁

 日本環境工学教授協会の会長に御推挙を頂いた、北海道大学の丹保で御座います。

 日本全体で衛生工学が主要大学の土木工学科に僅かに数講座あった戦前から、

戦後のアメリカ対日工業教育顧問団の勧告を受けて、北海道大学(1957)、

京都大学(1958)にフルサイズの衛生工学科が

(最初4講座ですぐに6講座となる、北大は後に8講座)相次いで創設され、

東京大学に都市工学科(1960;衛生工学関係3講座)が創設され、

土木工学の中の衛生工学講座という態勢から一歩踏み出して、

水や空気そして廃棄物などの質と量の両面に渉る工学的な扱いを、

物理・化学・生物学の広い土台の上に展開できるようになり始めた。


 私事に渉るが、1960年代の初頭に米国フロリダ大学で研究員として

環境化学・界面化学を学ぶ機会があった。

衛生工学の先進国とされていた米国にあっても、フルサイズの学科はなく、

土木工学科の一部にコースが作られており、大学院のコースが

水の衛生工学を中心によく整備されていた。

しかしながら、近くのケープカナベラル宇宙センターに代表されるNASAの活動度に比べれば、

全く比較にも何もならない体のものであった。

せめてその10%ぐらいの勢力にでもなればと、

東部の若手研究者の集まった折りに残念がったものである。

それから10年ちょっとで、環境の時代といわれるものが来て、USEPAといった巨大な活動体が出現し、

1972年にはストックホルム国連人間環境会議が開かれて、

地球は閉じたということを世界的に公式に確認するに至った。

先進国では、公害問題が、途上国との間では南北問題が解決されるべき環境課題(Issues)として確認された。

 

 漸く環境問題(Problems)/課題(Issues)として、近代の閉塞を越えて人類が

次の世代のために解くべき最大の課題が理解され始めてきた。環境の時代の到来である。

米国の諸大学はいち早くこれに反応し、環境工学のコースや学科が

殆どあらゆる総合大学・工科大学に出現することになる。

衛生工学を名乗る学科はあっと言う間に世界の少数派になり、

環境工学(Environmental science and technology/engineering)がこの分野の主流を占めることとなった。

 

 日本では大阪大学(1968)が環境工学の第一番目の学科となり、広義の環境学を目指した。

しかしながら日本の縦割り構造の強い官主導型の社会の中では、

苦戦を免れなかったように思う。

一方、古典的衛生工学の範疇を脱しきれなかった衛生工学は、

続発する公害問題にも後手に回り、広義の環境学の問題や続いて展開してきた

地球規模の環境問題に対しては、具体的な教育研究の構造を充分には持ち得ないでいる。

環境問題の先発グループでありながら、問題に常に先行され悪戦苦闘せざるを得なかったことに加えて、

日本の教育研究の組織の縦割り性の強さにも災いされて、適切な新局面への展開が阻害され、

理学・法学・社会学などの分野の後塵を拝してしまうことになったうらみさえある。

 

 米国では、土木工学はCivil enginneringの本質的なあり方に忠実で、

1960年代の衛生工学コース性の時代から、生物学・化学・統計学等の専門家を衛生工学グループの重要な核として配し、

来たりくる環境の時代に対する充分な基礎拵えをしてきた。

其れに対して、我が国では衛生工学のための化学・微生物学を土木系の出身者のみで担ったり、

他系からの教官を二次的メンバーとして考えたりして、官主導型の体系から出きれず、

世界の環境科学の流れに後れをとってしまった感なしとしない大学も少なくない。

 

 量と同時に質を扱うことの出来る数少ない専門として、

化学工学科と共に戦後の工学分野に創成された衛生工学は

その力量を水道・下水道・水質汚濁防止・廃棄物処理の分野などに縦割り的に使い込まれた結果、

それらの分野の整備には大きく貢献したものの、

次世代の世界の必要には大きく後れを取ってしまったようにも思われる。

世紀末の最大の課題は、地球を個々の産業が縦割り的に使い尽くして発生させた地球規模の環境問題に

どう対応すべきかということであるから、環境工学に我々が字義どうりに展開しようとするならば、

縦割りの問題を越える総合的な視座を地球の上で同時に考えられる数少ない専門家集団である。

しかしながら、一歩間違うと騾馬は極めて有望な動物であるけれども、子を産めない、

常に騾馬と馬とが両親として必要であるという事になりかねない。

他の分野の専門家が集団の中で充分に活躍して貰えうる場を作り、

二代目・三代目と力量が落ちることのないように横断的な専門家集団として、常に力量を高めていく必要がある。

総合性に於いて高い力量を持つことの出来そうな環境工学プロパーの出身者に、

化学・生物・社会・心理・統計などの他分野の一流の人々の参加を得て、お互いが切磋琢磨して、

社会の必要と遅れなく対応して努力を続けなければならないと思う。

 

 その為のプロフェッショナル集団の相互支援の組織として、

衛生工学・環境工学科の教授の皆様と土木工学に長い伝統を持った諸大学の衛生工学・環境工学の講座の皆様などが一丸となって、

環境工学教授協会を創ることになったことを深く喜びたい。

長い間難しい道を開いてきて下さった、多くの諸先輩にこの場をお借りして厚くお礼を申し上げたい。

今から十数年前、トロントでIAWQの会議があり論文を発表しにいった折り、

誘われて京大の松井三郎先生と共にアメリカの衛生工学教授協会の総会に参加したことを思い出す。

日本にもこの日が来たことを嬉しく思うと共に、私どもの次の世代までにこの設立を持ち越してしまったことを申し訳なく思い、

かつ、先に述べたような縦割りの環境工学を脱しなければ本当の環境工学教育研究が出来ないという難しさと、

日本の余りにも官主導の硬直した衛生工学・環境工学の具体的な場の改革の難しさを重く感じざるを得ない。

 

 専門性と総合性をしっかりと身につけた創造的な教育者・研究者となるべく研鑽につとめ、

全ての教育は環境問題を下敷きにして初めて新しい文明の創成者を作ることができる(Environmentally educated way of doing)

という次代の高等教育の最も大切な部分をあずかる教授団であるとの自覚と誇りを持って、

我々環境工学教授協会のメンバーは進んでいきたいものである。